映画「ジョーカー」が2019年10月4日に日米同時公開されました。
バットマンの永遠の宿敵ジョーカーを主人公とした初の映画として、彼の壮絶なオリジンを描いた本作品ですが、一部難解なシーンも含まれています。
この記事ではあまりバットマン作品に馴染みのない方でも解りやすいように、劇中不思議に思ったであろう「あのシーンの意味」を解説します。
思いっきり<ネタバレあり>なので、気になる方は映画を観た後に読むことをおススメします。
なお、私自身が映画を観た感想や見所、キャスティングなどについては<ネタバレなし>の記事をご覧ください。
アーサー・フレックとはどのような人物なのか
まずは、アーサー・フレックことジョーカーの基本設定について整理してみましょう。
この映画の主人公アーサーは、一言でいうと社会の底辺を生きる人物です。
ゴッサムシティは格差社会化が進んでおり、一部の富裕層は別としてそれ以外の人間は貧しい生活を送っています。
ですがどんな世界でも、人は自分よりも「下」を作ろうとするものです。
長引く不況により就業率は低下、衛生局のストにより街の景観が悪化したうえスーパーラットなるものまで出現しており、市の予算削減により福祉サービスも打ち切られてしまいます。
脳の障害により突然笑いだす発作が起きるアーサーは、ソーシャルワーカーのカウンセリングを受けていますが、彼女はこちらの話をまともに聞きもせず機械的なやり取りしかしてくれません。
しかも福祉サービスが無くなったことで、これまで頼っていた薬の処方すらも絶たれてしまいます。
仕事はピエロを派遣する会社に雇われていますが、障害やコミュニケーションが下手な事が災いし同僚や上司にも煙たがられ上手くいきません。
そのうえ同僚のランドルに渡された銃が原因となり、責任の追及を恐れたランドルが上司に嘘の報告をしたことから会社を解雇されてしまいます。
家族は精神と心臓を病んで自力では生活できない年老いた母親だけで、甲斐甲斐しく彼女の面倒を見ながらボロアパートで貧しい暮らしを送っています。
そんな彼を世間は自分たちより下に見て、蔑み、とことん踏みにじるのです。
それでもアーサーはコメディアンになり「笑いを世界に届けて、人々を幸せにしたい」という願いから、日々ジョークのネタを書き溜め他のコメディアンの研究にも熱心ですが、彼のジョークは普通の人には受け入れ難くセンスも人とズレています。(ショーを見ていてもアーサーだけ周囲と笑うタイミングが違います)
また同じアパートに住むソフィーに心を寄せていますが、現実には彼女をストーキングするのが関の山で恋人になるなど夢のまた夢です。
(ソフィーはシニカルな性格で、アーサーのブラックなジョークにも僅かながら微笑んで見せてくれるためそれがアーサーの救いとなっています)
笑いたくないのに笑い、悲しくても笑うアーサー。
そのうえ辛く悲鳴を上げる彼の心を、母親の言葉がさらに縛り付けます。
「いつも笑顔で、幸せそうにしていなさい」
民衆から蔑まれた男が、民衆により王へ
序盤では世間から疎まれ続け、その存在を踏みにじられ続けたアーサー。
ですが、運命の皮肉により彼は自分の中に新たな自分を見出します。
仕事を解雇され失意のまま乗っていた地下鉄で、3人のビジネスマンが酔っぱらって女性客に絡んでいました。
他に乗客はおらず、見かねたアーサーは彼女を助けようとします。
矛先をアーサーに向けたビジネスマンたちは、執拗に彼を揶揄います。
それが暴力に変わり、命の危険を悟ったアーサーは咄嗟に持っていた銃で彼らの内二人を撃ち殺してしまいます。
最初はあくまでも正当防衛だったはずが、残った一人を追いかけ今度は冷静に引き金を引き止めを刺します。
この事件は謎のピエロによるビジネスマン(ウェイン産業の社員であり富裕層の象徴)殺害事件として、日ごろ鬱憤を抱える市民たちに好意的に受け取られます。
街にはピエロのマスクを被った人々が溢れ、デモを行い「ピエロを市長にしろ!」と叫ぶ者まで出てきます。
そんな事件の首謀者をトーマスは「マスクの下に隠れなければ何も出来ない連中」と評し、これが市民の怒りに油を注ぎます。
ここで気になるのは、アーサーの手を離れたところで事態はどんどん進展していきますが、この事についてアーサーは特に意に介している様子がないことです。
妄想の中でソフィーに自分の行動を肯定された事に一瞬喜びを見せはしますが、それ以外は民衆の暴動などどこ吹く風です。
ジョーカーとなったアーサーはマレーの番組に出演し自分の罪を告白しますが、それを批判したマレーに対し「あんたが俺をここに読んだのは俺を揶揄うためだ」と言い彼を射殺します。
何度も何度も弾を打ち込む様子はテレビで生中継され、それを見た市民の感情はピークに達します。
逮捕されたジョーカーがパトカーの中から暴徒によって燃える街並みを眺めつつ笑っていると、突如車が衝突しピエロの仮面を被った暴徒たちによってジョーカーは救出されます。
「立ち上げれ!」
民衆が期待を持って叫ぶなか、血を吐きながらも車の上に立ったジョーカーは一面ピエロの仮面を被った暴徒たちを見下ろします。
ジョーカーにとって、彼らは味方でもなければ敵でもありません。
怒りのなかで乞食から王に祭り上げられた男は、どこまでも彼らにとって都合の良い存在であり、ジョーカーにとってもどうでも良い存在なのです。
アーサーはいつジョーカーになったのか?徐々に上手くなっていくダンスに注目
劇中では、アーサーがいつジョーカーと変じたのか明確な線引きや原因はありません。
理由を挙げるとすれば、全てです。
彼の人生に起こった全ての出来事が、彼がジョーカーとなった理由でした。
この映画のなかで、アーサーはよくダンスを躍ります。
最初はぎこちなかったステップが徐々に華麗なステップに変わり、マーレイのトーク番組に出演するために家を出て階段で踊るシーンでは見事なダンスを披露します。
それと同時に、序盤にくらべて少しずつアーサーの普段の態度が芝居がかったものになっていくのに気づいたでしょうか?
あれほど不器用だったアーサーが、流れるように喋り、嘘をつき、警官たちすら欺きます。
最初は弱弱しかった態度が、次第に不思議な雰囲気をまとい徐々に安定感が出てきます。
不幸に次ぐ不幸に見舞われていたはずが、警官から逃げる場面では運命が彼に味方し、まんまと追跡を逃れます。
「周囲を巻き込み自分に都合の良いように操る能力」を得た男は正しくジョーカーであり、混乱を尻目に悠々とその場を立ち去るのです。
少しずつ、少しずつ、本人すら気づかないうちに人生はアーサーをジョーカーに変え、それが観るものにはダンスという分かりやすい形で表現されています。
アーサーの出生に隠された秘密
アーサーが人生に裏切られた真実の一つに、彼の出生の秘密があります。
物語中盤で母の手紙を盗み読んだアーサーは、自分がトーマス・ウェインの私生児である可能性に希望を見出します。
母が度々トーマスに対して救済を頼む手紙を書いていたのは、かつて使用人だったというだけでなく明確な理由があったのです。
自分がトーマス・ウェインの息子かもしれないという期待を胸に、アーサーはウェイン邸を訪ねます。
そこで初めてブルース(後のバットマン)と会うのですが、この時の彼の心情はどのようなものだったのでしょうか。
豪華な屋敷で何不自由なく暮らす、血がつながっているかもしれない自分の弟。
そんな彼の気を引こうと、ピエロの鼻をつけ得意のマジックを披露します。(劇中でも度々描かれていますが、アーサーのパフォーマンスは子供にはウケが良いようです)
ブルース少年は警戒心無くアーサーに近づきますが、その表情はどこか無表情です。
彼の口を引っ張りながら無理やり笑わせたアーサーは「こっちの方がずっといい」と呟きます。
慌てて飛んできた執事のアルフレッドに自分がトーマスの息子であるという可能性を否定され、精神を病んだペニーの妄想だと言われますが、アーサーはそれでも諦めきれずついにトーマス本人に接触します。
しかしそこでも手ひどく拒絶され、密かに期待していた父親との交流の夢も打ち砕かれます。
その後、トーマスの言った言葉の真偽を確かめるべく病院で強引に書類を手に入れますが、そこで自分が母の実の子供ではなかった事実を知ります。(捨て子と記載されていたため、出自については謎のままとなります)
劇中、母ペニーはアーサーをたびたび「ハッピー」と呼んでいますが、それは彼が何をされても、どんな酷い仕打ちを受けても幸せそうに笑っているからだと言います。
ですがそれは幼少時に母の交際相手が自分を虐待した事で脳に障害を負った事が原因であり、母は自分を助けなかったばかりか育児放棄していたのです。
父親だけでなく、母親すら自分を愛してはいなかった。
いやそもそも、自分たちは血の繋がりすらなかった・・・。
これまでアーサーが信じてきた母親との絆は、すべて幻だったのです。
アーサーが見ていた妄想と現実の境界
不遇な人生を送っているアーサーは、せめて想像の中では幸せになろうと様々な妄想を繰り広げます。
母と一緒に見るお気に入りのトーク番組「マレー・フランクリン・ショー」を見ては、そこに自分が思わぬ幸運で出演し憧れの司会者マレーと親しく会話する場面を想像します。
マレーに自己紹介をすると彼は「きっとお母さんにとっては自慢の息子だ。もし君が私の息子なら君のために全てを捨てても良いくらいだ」と言ってアーサーを抱きしめます。
これは自分が誰かに認められたい、特に自分にはいない父親に認められたいという願望を、尊敬するマレーに重ね合わせているのでしょう。
また地下鉄事件の後、高揚した精神のままアパートに帰ったアーサーはソフィーを訪ね、今までにない強引さで彼女にせまり関係を持ちます。
恋人となったソフィーはアーサーのショーを見に来てくれ、一緒に帰る道すがら謎のビジランテとして新聞に取り上げられたピエロを英雄だと褒めたたえます。
刑事の訪問によるショックで脳梗塞を起こし、入院してしまった母親に付きそうアーサーの背中を優しくなでながら、「きっと良くなるわ」と慰めてもくれます。
ですが、母との関係が偽りだった事を知り彼女を殺害したアーサーが救いを求めてソフィーの元を訪れると、彼女は彼に他人行儀な態度を取ります。
「たしか、アーサーよね?下の階に住んでる・・・」
今までソフィーと持っていた交流は、投薬治療を絶たれたアーサーの脳が見せた都合の良い幻想に過ぎませんでした。
考えてみれば、ソフィーはこれまでにも不自然な行動を取っています。
アーサーのストーキングに気づいたソフィーは彼の元を訪れその事について問いただしますが、アーサーがその事実を認めるとアッサリと帰って行き同じ階の別の部屋に入ります。
ですが同じ階に住んでいるように見えていた彼女の部屋は、実際は一つ上の階だったのです。
各所に散りばめられた設定とその意味
■アーカム州立病院
アーサーの母ペニーが過去に入院していた病院です。
最終的に逮捕されたジョーカーもこの病院に入院することになりますが、ここはバットマン世界ではお馴染みの施設アーカム・アサイラムだと見て良いでしょう。
アーカム・アサイラムとは、映画「スーサイド・スクワッド」にも登場していた触法精神障碍者(法律で裁けない精神に障碍を持つ犯罪者)を収容する施設です。
劇中で病院のスタッフは母親の入院記録を取りに来たアーサーに、「犯罪者で精神を病んでいるものやそれ以外の患者も入院する」と言っていましたので、特徴がまさしくアーカム・アサイラムそのものです。
ここで精神科医と思われる黒人女性のカウンセリングを受けた後、赤い足跡を残しながら白い廊下を歩き、看守から逃げまわるラストシーンが印象的です。
■ペニーの写真
マレーの番組に出演するため母親の鏡台でメイクをしていたアーサーは、そこで一葉の写真を見つけます。
若い頃の母を撮ったその写真の裏には、「美しいきみへ」というメッセージと共にT・Wというイニシャルが綴られていました。
このサインが果たしてトーマス・ウェインのものなのか真偽は定かではありません。
もしこれがトーマスが贈ったものだとすれば、彼の言っていた「彼女(ペニー)とは何もなかった」という言葉は嘘という事になります。
少なくとも淡いロマンスなりがあり、精神を病んだ母がそれを飛躍させてトーマスの子を身ごもったと信じたのでしょうか?
それとも実はアーサーは本当にトーマスの子供で、病院の履歴は捏造されたものだったのでしょうか・・・。
もはやどうでも良いジョーカーは、その写真を握り潰します。
ちなみにトーマス・ウェイン役のブレット・カレンは、この疑問に対しインタビューでこう答えています。
プロデューサーのトッド・フィリップスに「ジョーカーがバットマンを憎む理由はなんだと思う?」と聞かれて話し合ったんだ。ジョーカーが非摘出子であるというのは非常に説得力があると思う。彼はウェイン家から何も恩恵を受けられなかったんだからね。きっとトーマスはペニーの美しさに魅せられ関係を持ったけど、最後は精神病院に押し込んだんだ。私はそう考えて演技したよ。(私訳)
The Hollywood reporterより
■冷蔵庫に入る
劇中でアーサーが冷蔵庫の中身を全部引きずり出し、その中に入るシーンがあります。
ひときわ不気味なこのシーンですが、なぜそんな真似をしたのか気になりませんでしたか?
ハッキリとした理由はわかっていませんが、私はこれは一種の「胎内回帰願望」ではないかと思いました。
人間は母親の子宮内にいた時が一番安全だったという記憶があり、大人になっても明るく開けた場所より暗く狭い場所に入る方が落ち着くという人もいます。
アーサーはこの直前、母を殺害しソフィーとの関係も自分の妄想だった事を知ります。
心の支えだった二人の女性との絆を絶たれ、精神的に追い込まれた結果このような行動を取ったのかもしれません。
また劇中でアーサーが常に貧乏ゆすりをし暇さえあればタバコを吸っているのも、ストレスと不安から逃れるためだと考えられます。